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今だからわかるHSP気質の幼少期の意味

私は長野県にある標高1250mの菅平高原というところで、生まれてから15歳まで過ごしました。

小学校は1学年20-30人の1クラスしかない、小学校と中学校が同じところにある併設校でした。
 
よって、9年間(いや、本当は保育園の時から)同じメンバーで過ごすようなところだったのです。
 
一言でいえば、『田舎』大自然の中で、育ちました。
 
そして、見渡す限り、畑やグランドとかそんななかに、ポツポツと家や旅館があるそんなところで育ちました。
 
そもそも、小さい時の私は敏感すぎて、対処する術も知らな過ぎて、
そんな、なんにもないような大自然に囲まれた 菅平でなくては おそらく暮らしていけなかったのだと、今大人になっていろいろなことが分かるようになって感じます。

よく、最近、自分で親などを選んで生まれてくるって言いませんか?それって、まさにって今になって思うのです。
 
平和・穏やかというような波動だと、私自身落ち着いていられるけど、
とにかく自分を落ち着かなくするような不安・心配・怒り・戦争・病気・怖い みたいな波動に
囲まれると、本当にしんどくくるしく、そしておかしく、不安定になってしまうそんな感じの子でした。周りの状況に影響しやすいのですよね。
 
だから、とにかく、広くて基本的に静かで、自然がいっぱいあるところで、
どっしりとしておおらかで放任主義の母親のもと、
のびのびと暮らさせていただいたから、そんな私でも、あまり困ることはなくのびのび育ったのだと思います。
 
保育園の時も 登園拒否とかもしたし、ニュース番組とか、中東の戦争とか、当時はエイズの報道とか事件、事故などの報道。

そういったものは、怖くて恐ろしくてこたつや布団の中で耳をふさいでいたのです。
 
もめごととか、言い争いもガクガクプルプルと隠れて聞いているか、子どもであることを利用して、
面白ろおかしくその場を和ませ、争いをやめさせるようなそんな子供でした。
 
とにかく、場のエネルギーに敏感で平和が好きな子でした。

そんな性質を持っていたから、高校生になるときに、初めて見ず知らずの人と新しい高校というコミュニティで生活する時に本当にカルチャーショックで、また大学に行くときも同じで。でも、新しい仲間との生活に慣れてくると、また自分自身の平和な場をクリエイトしてその時の生活を楽しんでいました。
 
社会人になってからは、言い争いなどで、空気が悪いところにあまりいたくないので、そこに巻き込まれない術も学び、可能な限り場をヒーリングしつくす(まだまだですが…。)そんな思いで勤めていました。
 

HSPでも力強く生きて行くために必要なステップ

周りの影響を受けやすい、HSPの人でも、周りに飲み込まれすぎずに自分軸をもって生きて行くことができると思うのです。あんなに、弱っちかった私がこんな風に生きていられるのだから。
 
私は、44年の自分の人生経験と、たくさんの人の心と言動を観察してきて、いきついた私の結論があります。
 
① とにかく、自分自身がしっかりと安定してぶれない自分を保つ(作ること)
 
② 自分自身の心の中が整理できて、それぞれの感情の行き場があったり、感情を押し殺すのではなく、昇華することができることが大切。
 
③ 自分自身のエネルギーを満タンにすることで、自分自身が(妥協せず)望む未来を生きていける。

こうやって書いてみたけど、これってHSPでなくても、実はみんなそうなんですよね。

そこがみんな腑に落ちたら、人間おのずと建設的に行動できてネガティブな波動におぼれることなく、それを建設的に(前向きに)利用できるのだと思うのです。

そうしたら、私が苦しんだ世の中の汚染が少しでもなくなるのだろうと思って自分の周りから、私に興味を持ってくれた人から少しずつ輪を広げていけたらなぁと思って活動しています♪

次回は、HSP気質で敏感で周りの影響を受けやすい人が、強くたくましく生きて行く方法について書きますね♪